「つ」つる舞う形の群馬県



コロナウイルスの感染予防対策の一環として外出自粛が要請されたが、その中で都道府県を跨いでの外出は避けて欲しいとの報道が頻繁になされた。


そのとき、ふと思った。日本に住む大多数の方たちは、日本の行政単位は「1都1道2府43県の47都道府県」から成り立っていること、北から南まで都道府県がどの様に並んでいるかも知っていると思う。



しかしながら、我々の年代だとその一つひとつがどのような形となっていて、どこが他県等の境界か、頭の中で全てをはっきりと描ける人は本当に少ないのではなかろうかと疑問がわいた。


小生自身も直ぐにイメージに浮かぶのは、自分が生まれ育った故郷群馬と、他県に隣接していない北海道と沖縄県きりない。


また、海に面している海あり県(?)だと何となく形が浮んでくるが、360度の境界が他県に接している海なし県(群馬・栃木、埼玉・山梨・長野・岐阜・滋賀・奈良)の形を思い浮かべるのは、難しいと気が付く。



さて、群馬県であるが日本地図を広げてみると、まず、全体が羽を広げたつるの形に似ているのが判るし、県境が5県に接しいていること(因みに、最も多くの県と接しているのは長野県で8県だが、皆さん、その8県の名前を挙げられますか?)また、日本列島のほぼ真ん中に位置していることが判る。


日本列島の中心はどこか調べてみたが、昨年1月にTBS系の「噂の東京マガジン」がこの話題を取り上げており、全国で30の自治体が我こそは日本の真ん中だと名乗っているらしい。


小生の頭は「日本のまんなかは幾つだ?」と聞かれたら、「一つ」ときり答えられない仕組みになっているため、これはそもそも「まんなか」の定義から調べる必要があるとなったが、怠慢だと言われることを覚悟で、何も調べていない。



「つる」の形をした群馬県のほぼ中央、羽を広げて飛んでいる「つる」の首のほぼ付け根あたりに渋川市がある。


渋川市は日本列島最北端の宗谷岬と最南端の佐多岬のちょうど中心にあることから、「日本のへそ」を自認して、昭和59年から「日本のまんなか渋川へそ祭り」を開催している。


小生が調べた範囲では、渋川市以外に数か所で「へそ祭り」がおこなわれているが、「日本のまん中を宣言してのへそ祭り」は渋川市だけのようである。



肝心なことをご紹介するのを忘れていた。いつ頃から群馬県と呼ばれるようになったかを、簡単にご紹介したい。


群馬県となるまでは、和銅6年(713年)の諸国の風土記編集の勅令によって、それまでの「上毛野国(かみつけのくに)」が「上野国(こうづずけのくに)」に改められて以来、ずっと上野国と呼ばれていたが、1871年(明治4年)10月28日に第1次群馬県が成立し、上野国から群馬県と変更された。これは、同年の廃藩置県で前橋・高崎を含む大きな郡であった群馬郡の「群馬」を県名としたものである。


この10月28日が1985年に「群馬県民の日」に制定され、以降、毎年10月28日は県内の公立学校が休校となり、また各種のイベントが行われている。小生が群馬を離れたのが1962年3月であり、この1日の休みの恩恵は受けていない。



いろは44枚の句がある中で、なぜ、この句を最初に説明したかというと、上毛かるたの競技会の団体戦で両チームが同点の場合は、群馬県そのものを説明するこの札を取った方が勝ちとされている、競技でも最も価値の高い札と位置づけられているからである。



【最後に、読み札の裏に書かれている説明文を紹介する】

群馬県勢(1)

・位置:東経139“3‘51 北緯 36”23’17

・面積:6355.61平方キロメートル

東西:95.90キロメートル 南北 119.14キロメートル

・11市:前橋、高崎、桐生、伊勢崎、太田、舘林、沼田、渋川、富岡、藤岡、安中

・12郡:勢多、群馬、北群馬、多野、甘楽、碓氷、吾妻、利根、佐波、新田、山田、邑楽



●先ず最初は、群馬県の形でしたが、次回は、群馬県の人口を説明している「ち」「力合わせる二百万」を紹介します。