古鳥史康の世界


古鳥史康

夜の白むころ、精魂尽き果てた刺青師は、娘の美しい背中に自分で彫った女郎蜘蛛に自分自身が吸い込まれそうになりながら語る。「おれはお前をほんとうの美しい女にするために、お前の背中におれの魂をぜんぶ打ち込んだ」「これからは男と云う男は、みんなお前の肥料(こやし)になるのだ」

娘は早く刺青が見たいと、湯殿での仕上げの痛みにさえ胸を躍らせるのだった。


古鳥史康

このとき、ジョージは悟った。元の世界で自分は力及ばなかったと思っていたが、自分はみんなの幸せのために役に立っていたのではないか。

じつは自分の人生は素晴らしかったのではないか。


古鳥史康

王女シェヘラザードとその召使いの女性が二人で砂漠を旅していた。

かつてシェヘラザードの婚礼の日、新郎アラジンと指輪を交わし誓いのキスを交わした直後、夫となったばかりのアラジンは魔女によって呪いをかけられ、愛の記憶を消されたうえ、愛する女性を殺すように暗示されて失踪したのだった。彼女は夫アラジンを捜す旅を続けていたのだ。


星野富弘さんは、その後、手足が動かないまま、われわれに大きな感動を与えてくれる詩人・画家となった。

おれも富弘さんの圧倒的な愛と生命が迸る作品を前にして、感動で震えが止まらなかった。


縄文時代から続く日本人の愛と和の精神は、隣人を愛し、周囲との平和を好み、宇宙や自然とも一体感を持っている。

世界の人々がこの日本人の精神に注目している。日本人の愛と和の文化は、閉塞した世界の文化を新たなステージに進化させる原動力として大きく期待されているのだ。

医療の面においても、日本には、愛と和の調和する、自然とも調和する日本型の医療があるのではないだろうか?


古鳥史康

フィリップ・ マーロウは検察庁あがりの私立探偵でプロ意識が高く、長身のタフガイで、美人の女性にも甘くはない。金にも左右されない。それに正直だ。どこか誠実で、信頼感があり、人を裏切らない。そのうえ自由である。

原作者レイモンド・チャンドラーの魅力は、この主役のマーロウのキャラクターにもあり、レトリックの巧みさにもあるが、しかし極めつけはマーロウの口から出る数々の名セリフであると思う。


このストーリーは、かつておれがアメリカの内部事情に通じていた某財界人(故人)から聞いていた話とまったく違う。

おれが知っている事実は、まずワシントンポストのオーナー会長キャサリンは、メリル・ストリープが演じているような誠実で恥ずかしがり屋でオドオドしている女性ではない。キャサリンは自信満々で、アメリカで最もパワフルな女性として知られていたのである。


古鳥史康

神道香取流の地元の保存会のおやじたちの、真剣で、毅然とした古式の奉納演舞は、じつに懐かしく、故郷に帰ったような、克己心を思い起こさせてくれる。


古鳥文康

日本人が築いてきた医学体系は、西洋医学のように病巣をえぐり取るのではなく、人体という小宇宙を大宇宙と調和させることによって、自然治癒力で病気は治る、というものであった。水上治は、日本型統合医療を創造し、世界に発信していくことを決意する。


古鳥文康

樵舟は、大海原を超えて、古来中国の名品に感銘を受け、それらを手本として、日本人樵舟自身の魂と品格を呼び覚まし、ますます磨きをかけていく。われわれもまた、その樵舟作品を観るたびに、日本人としての魂と品格が呼び覚まされ、磨かれていくのを感じるのである。


古鳥文康

日本の歴代総理の師であった安岡正篤、佐藤慎一郎、吉川幸次郎など錚々たる学者たちにまじって、一人だけ、わずか19歳で景嘉の門下に入り、師事した青年がいる。その青年は、後に、樵舟(しょうしゅう)と号する。


古鳥文康

日本人とは何者なのか、キーンさんの頭の中で何かが繋がったに違いない。放射能が日本全土を覆ってしまうような報道が相次ぐなか、キーンさんは外国人でただ一人、日本の地に踏みとどまる。キーンさんは言う「私はこの日本の人々と共に生き、日本の人々と共に死にたい。」


古鳥文康

虚堂禅師は語る。世の中は厳しく険しい道が多い。しかしこれは考えることでもなく究めるということでもない。おまえはしょっちゅうあれこれと問い続けるが、おれもいままで多くの老師たちを見てきて、いまやおれ自身が翁となった。字もよく見えなくなったし、話もよく聞こえなくなった。それでよいのだ。ただ天に任せて直に道を進むのみである。おまえもあれこれ問うことを休めよ。天に任せて直に道を歩むのだ。


古鳥文康

打ち手たちはみなお互いを慮り、時にはある打ち手の激しいバチ打ちに合わせて周りが補完し、時には別の打ち手のバチのリズムに合わせて補完し合い、助け合い、一つとなって演じ切る。指揮者不要なのだ。6年前の東日本大震災の折も、家族を失い、家を失い、全てを失って悲しみと絶望のどん底に落とされながらも、それでも、日本人は互いに乏しい物資を分かち合い、助け合い、励まし合った。だれか決まった指揮者がいたわけではなかった。


古鳥文康

言葉にしない秘めた思いこそが、余韻を残すのだ。計算づくの嘘っぱちの言葉が行き交う現代社会にあって、《追想王妃の谷》で語りかける古代エジプトの王妃も、民謡で語りかける古きアイルランド人もそうだが、それら秘めた思いの余韻を日本人が最高の作品に描き出し、秀逸の訳詞に完訳できるのは、それが日本人にとっても縄文以来の伝統の美学であるからだと思った。