《 国宝 虚堂智愚墨蹟 別称:破れ虚堂(やぶれきどう) 》

東京国立博物館の「茶の湯」展を鑑賞した。

これだけ名品が一堂に会するのはめったにないことだと思うので、茶の湯や歴史のファンなら見逃せないところだろう。

おれがとくに惹かれたのは「国宝 破れ虚堂(やぶれきどう)」

筆者は中国南宋の虚堂智愚(きどうちぐ)禅師。


この書は、虚堂禅師が日本の若き禅僧、無象(むしょう)に書き与えたもの。

無象は虚堂禅師を慕って中国に渡海し、参禅したのだ。ときに無象はおよそ30歳、虚堂禅師はおよそ80歳。

以後、無象は帰朝するまでの3年間、虚堂禅師のもとを離れなかった。

虚堂禅師は語る。

世の中は厳しく険しい道が多い。

しかしこれは考えることでもなく究めるということでもない。

おまえはしょっちゅうあれこれと問い続けるが、

おれもいままで多くの老師たちを見てきて、いまやおれ自身が翁となった。

字もよく見えなくなったし、話もよく聞こえなくなった。

それでよいのだ。

ただ天に任せて直に道を進むのみである。

おまえもあれこれ問うことを休めよ。

天に任せて直に道を歩むのだ。

(注 フミヤス流意訳)

この書は日本の茶の湯で珍重されたが、

この書ほどわれわれをわびさびの境地に誘うものはないのではないか。

うち続く戦乱と裏切りと謀略の世にあって、わが一族を守るためには、武将たちは昼も夜も四方に気を配り、神経を研ぎ澄ましてどんな小さな異変も見逃してはならない。

近隣武将を味方につけるためには、礼を尽くし、細やかに気を配り、気前良く金をばらまき、華やかに見栄も張らねばならない。

戦陣にあっては、どんな強敵であっても、また自分の体調が悪くても、味方の将兵を奮い立たせるためにまず自らが奮い立って勇気と度胸を見せなければならない。

生と死はいつも隣合わせだ。






嫌でもやってくるこの毎日に、武将たちはわびさびの世界に自らを投じるひとときを希求せずにはいられなかっただろう。


わびさびの世界は現世の喧騒の欲得の世界とは正反対である。

静寂の世界だ。

すべてを捨て、己も捨てる。

何もいらない。無一文でいい。もともと世界は無なのだから。

だから狭いあばら家でいい。茶碗もその辺で拾ってきたものがいい。


そしてそこにある書が、禅師80年の人生の重みをもって、

歳をとればよく見えなくなり、よく聞こえなくなるが、もともとこの世は無である。

何もないし、何もいらない。問うのを休めよ。求めるのを休めよ。

ただ天に任せて直に道を歩むのみ。

と、

語りかけてくるとき、

疲弊した武将のこころは生き返るだろう。



ご参考

江戸時代、この書を所有した商人の丁稚が切り裂いてしまったので以来「破れ虚堂(やぶれきどう)」と称されているが、そんなつまらない由来に関わらず、「破れ虚堂」という名称はこの書のイメージにぴったりだと思う。その後修復されて、切り裂かれた痕はわからなかった。


原文

世路多巇嶮、無思不研窮。

平生見諸老、今日自成翁。

認字眼猶綻、過譚耳尚聾。

任天行直道、休問馬牛風。

日本照禪者、欲得數字、徑以述懷贈之。

虚堂叟智愚書。