2018-05-13 古鳥文康

樵舟 作 『千字文』


文正(中国 元~明時代14世紀)



狩野探幽(江戸時代17世紀)



伊藤若冲(江戸時代18世紀)

上野の国立博物館の特別展 「名作誕生ー繋がる日本美術」 を観てきた。


この特別展は、雪舟、狩野探幽、伊藤若冲などの名作誕生の秘話を詳らかにしている。

もちろん雪舟も探幽も若冲も日本を代表する日本人画家であるが、この特別展は、じつは彼らはいずれも中国古来の名作から如何に影響を受け、中国古来の名作を如何に模していたかを読み解こうとするものだ。



なんと?


けしからんではないか!

日本の芸術とは日本人の魂である。この日本の地で2万年にわたって培われてきた日本人のこころ、日本人の魂が、日本の芸術となって結実しているのではないのか?

いや、そのとおりなのだ(笑)

日本の芸術は、間違いなく、この日本の地で2万年にわたって培われてきた日本人のこころ、日本人の魂が結実したものである。

模倣という言葉には単に形をまねるだけという印象がある。だからけっして元の作品を超えることはない。なんでも鑑定団なんかでも模倣品は二束三文じゃないか。

しかし雪舟も探幽も若冲も、中国古来の名作を観て刺激され、それら中国古来の名作を超えるほどの作品を生み出している。いや、比較しようのない、中国のものではない、日本人の名作、すなわち日本人の魂を生み出しているのである。

ようするに単に模倣というのではなく、それらを手本として、本来の自らの日本人の精神を掘り起こし、表現してきたのだ。

こうしてわれわれも、彼ら日本人による日本人の日本美術を通して、日本人のこころを見つめなおし、呼び覚ましていくのである。

閑話休題!

池田樵舟は、伝え聞く逸話からすると、根っから愛と和の精神に溢れた根っからの縄文日本人である。


その樵舟、語る。


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書家として今の私があるのは、師・景嘉(けいか)(故人)の存在が大きい。

師は、兎に角基本が如何に大事であるかを説いていた。自身の作で最も思い入れのある三つのうちに千字文があるのも、基本を大事としていた師景嘉による。

千字文は中国をはじめ、かつて多くの国の漢字の手習いの基本としていたもので、南朝・梁の武帝が当時文章家として有名であった文官の周興嗣(しゅう こうし)に文章を作らせたのが始まりである。

千字文は天文、地理、政治、経済、社会、歴史、倫理などの森羅万象について述べた、4字を1句とする250個の短句からなる韻文で構成されている。

周興嗣以後は、歴代の能書家が千字文を書いているが、書聖王羲之の7世の孫、智永が書いた『真草千字文』が有名である。

(※書聖王羲之の字に最も近いのが智永と言われている。)

古事記によると、日本には270~310年頃『千字文』と『論語』10篇が伝わったとされており、奈良時代には『眞草千字文』が国宝とされている。

また、千字文は手習いの基本であるが、書道では名作を模して品格を身に着ける「臨書」という手法がある。

これは名品を手本とすることで、自らが本来持っている品格が自然に磨かれていくもので、真似るというのはその為の訓練である。

私に出来ることは、亡き師・景嘉らを手本として、書を通して、私自身である日本人の精神と品格に磨きをかけ、次の世代に引き継ぐことだと切に感じている。

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かくして、樵舟もまた、大海原を超えて、古来中国の名品に感銘を受け、それらを手本として、日本人樵舟自身の魂と品格を呼び覚まし、ますます磨きをかけていくのであり、


われわれもまた、その樵舟作品を観るたびに、日本人としての魂と品格が呼び覚まされ、磨かれていくのを感じるのである。