香り高き文化学院


文化学院がついに平成30年(2018年)に閉校されました。


しかし、与謝野鉄幹、与謝野晶子、菊池寛、佐藤春夫、有島武郎、谷崎潤一郎、堀口大学、北原白秋、芥川龍之介、川端康成、遠藤周作、高浜虚子、萩原朔太郎、棟方志功、山田耕筰ら錚々たる歴代の教授陣が教鞭をとり、


しかも国の方針に妥協せずに、日本と日本人の文化を探求し、自由な精神に根差した青少年を育成してきたユートピアは、

その存在した事実ははかり知れなく大きいものであったと思います。


文化学院が残した記憶は消えることはありません。

いつかまた、このような学院が、いえ、文化学院が再興されることをこころから祈るものです。

日本の文化伝統そして日本人のこころ 理事

熊川清孝(文化学院第5代校長)



竹久夢二、与謝野晶子、北原白秋らが活躍した大正ロマン華やかなころ、

西村伊作は、与謝野晶子と石井柏亭に、当時の学校令に縛られない自由でより創造的な学校を創立することを打ち明けました。

三人は大いに意気投合し、こうして1921年、東京に文化学院が創立されたのです。

教師は西村伊作、与謝野寛、与謝野晶子、石井柏亭、山田耕筰、河崎なつ、有島生馬、高浜虚子ら日本を代表する文化人25名でスタートしました。

国との方針が違ったため補助金はなく、誰からの援助も受けず、すべて伊作自身の資産で運営されました。

しかし、河崎なつ、与謝野晶子らを中心に独自の教科書が作られ、広辞苑に載る数少ない学校の一つとなったのです。

校舎は建築家でもある伊作自身の設計によって、当時の兵舎のような学校建築の常識を覆し、英国のコテージ風の建物を建築して、大きな話題を呼びました。

この歴史的建築物は1923年の関東大震災で校舎が全焼してしまいましたが、のちに軽井沢のル・ヴァン美術館に当時の校舎が復元され、創立当時をうかがい知ることができます。

文化学院の講師陣は圧巻です。

文学は、与謝野鉄幹、与謝野晶子、菊池寛、川端康成、佐藤春夫、有島武郎、茅野蕭々、戸川秋骨、竹友藻風、エドワード・ガントレットらが教え、

さらに奥野新太郎、堀口大学、北原白秋、芥川龍之介、遠藤周作、高浜虚子、萩原朔太郎等がこれに続けと加わりました。

美術を教えたのは、石井柏亭が率いる二科会の山下新太郎、有島生馬、正宗得三郎、中川紀元、水彩の赤城泰舒、棟方志功、ノエル・ヌエットら。

音楽の受け持ちは、山田耕筰、エドワード・ガントレット、伊達愛、萩野綾子、浅野千鶴子、ハンカ・ペッオードら。

他にも、横光利一、小林秀雄等が創作と文芸評論を担当し、三宅周太郎、北村喜八、伊籐筰朔が演劇を担当したのです。


中学部の幼い生徒たちにも、当時の一流の学者、芸術家たちが親しく教え、職業的な教師によらない高踏的な人間教育がなされました。

こうして文化学院は、日本の自由と芸術と文化をリードする校風、超一流の講師陣、経営陣の確固たる信念によって、多くの人材を輩出したのです。

しかし、1930年代、

世界恐慌、ドイツにおけるナチスの台頭、満州事変、日華事変などが次々に勃発します。

しかしその時代にあっても、文化学院は当初の校風を貫き、戦時中も自由主義の教育を続けて世評を恐れなかったのです。心ある人々からオアシスのように慕われたことはいうまでもありません。

三木清、田中美知太郎、福武直、清水幾太郎、美濃部達吉、吉野作造らが講義をはじめたのもこの頃です。

しかしついに1943年、創業者で初代校長である西村伊作は反政府思想による天皇批判、自由思想によって不敬罪で拘禁され、文化学院の閉鎖命令を受けます。伊作は半年間投獄され、釈放後も裁判やり直しを求めました。この件はやがて終戦の混乱で有耶無耶となったのでした。

戦時中、文化学院は捕虜収容所となっていたため、米軍の空襲を免れ、そのおかげで近くの山の上ホテルも焼けずに済んだといわれています。

また同じお茶の水にあるアテネ・フランセは空襲で焼失しましたが、戦後、文化学院の校舎の一部を借りて講義を再開することができたのです。

また文化学院は日本で初めての男女平等教育を実施し、共学を実現した学校でもあります。

日本文化のみならず、キリスト教精神や西洋文化的教育が盛んに行われ、教員に多くの西洋人を招きました。

創立当時から征服はなく、和服より洋服を推奨し、当時では珍しく、生徒のほとんどが洋服を着ていました。その頃から文化学院はオシャレの代名詞として知られていたのです。

日本の現代史、文化史においても、戦時中、学生闘争、神田カルチェ・ラタン闘争などの真っただ中であっても、常に自由思想の先頭にあった学校でした。

かつて文化学院は、教員はじめ、在校生、卒業生たちからはユートピアと評され、学生の憧れの的だったのです。

こうして文化学院は、多くの著名な芸術家、作家、役者等々を輩出してきましたが、ゆえあってついに2018年、学校法人了徳寺学園と統合することを公表し、ついに閉校するに至ったのです。






文化学院関係者


(→ウィキペディア)

文化学院の教育は古くから高く評価され、著名な歴代講師陣により指導が行われてきた。

歴代校長

(初 代) 西村 伊作 (創立者)

(第2代) 石田 アヤ (創立者西村伊作の長女)

(第3代) 西村 八知 (創立者西村伊作の三男。ルヴァン美術館館長)

(第4代) 戸田 一雄 (松下電器代表取締役副社長)

(第5代) 熊川 清孝 (東京工科大学創立委員)

(第6代) 上村 武志 (読売新聞論説委員)

(第7代) 星 幸典


理事(2017年)

  • 与謝野 馨 (財務大臣・金融大臣)
  • 渡辺 恒雄 (読売新聞・日本テレビ会長)
  • 大塚 陸毅 ( 東日本旅客鉄道会長)
  • 城所 賢一郎 ( TBSテレビ取締役副会長)
  • 目時 剛 (日本BS放送代表取締役社長)


評議員

  • 山東昭子 (参議院副議長・科学技術庁長官)
  • 坂倉竹之助


主な出身者

政治


経済

  • 成嶋弘毅 - 竜の子プロダクション代表取締役社長
  • 松崎武吏 - 月刊少年ガンガン編集者
  • 境直哉 - 第一企画(現:アサツー ディ・ケイ)創設者
  • 高澤正樹 - 新潟放送相談役・元社長、新潟市芸術文化振興財団理事長
  • 松村益二 - 四国放送社長・相談役、民放連理事・放送基準審議会議長
  • 泉毅一 - 日本教育テレビ(現:テレビ朝日)常務
  • 大島敬司 - 日本文華社(現:ぶんか社)創設
  • 片口泰 - 東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)専務
  • 内田孝資 - 松竹大船撮影所所長
  • 竹内四郎 - 山王国際会館専務
  • 露木豊 - 芹沢・井上文学館初代館長
  • 胡暁子 - シンガポール赤十字社副総裁、紫綬褒章受章、シンガポール国家功労章受章


学術

  • 田中千代 - 神戸女学院大学教授、服飾教育者・デザイナー、田中千代学園創設
  • 井口愛子 - 東京音楽大学教授、ピアニスト
  • 上笙一郎 - 元梅花女子大学助教授、児童文化研究家
  • 村井正誠 - 武蔵野美術大学名誉教授、画家、日本美術家連盟理事長
  • 浜田徳昭 - 九州大学芸術工学部助教授、指揮者、音楽理論家
  • 田島佳子 - 東京藝術大学客員教授、演奏家、長唄協会理事、紫綬褒章受章
  • 真下慶治 - 山形大学教授、画家、日展評議員
  • 原田芳郎 - 慶應義塾大学教授、フランス文学者
  • 何初彦 - 上智大学教授、東京大学新聞研究所所長
  • 戸田勝久 - 創造学園大学教授、茶道家
  • 福田和彦 - 元金沢美術工芸大学講師、美術史家、写真家
  • 中大路美智子 - 都留文科大学講師、建築学者
  • 宮川やすえ - 拓殖大学名誉教授、児童文学者、 日本児童文学者協会評議員
  • 佐藤昌三 - イリノイ大学名誉教授
  • 大津はつね - 東京工芸大学準教授、映像作家
  • 中込純次 - 別府大学教授、詩人、フランス文学者、文化学院監事
  • 黄瀛 - 四川外国語学院大学院教授、詩人
  • 尾中普子 - 大東文化大学名誉教授、法学者、著作権法学会名誉会員
  • 天川由記子 帝京大学准教授、国際政治学者、元テレビ東京アナウンサー(高等部卒業)
  • 篠田俊蔵 - 東北大学教授、青山学院大学教授、フランス文学者(中学部男子第一回生)


建築


文学


映画・演劇




芸能・音楽


美術・漫画


ジャーナリズム・評論

その他


文化人の子女

創立 間もないころ 与謝野夫妻が 次女八峰を 入学 させたのを はじめ、 石井柏亭も 4人の娘を、 戸川秋骨も 娘のエマを 文化学院で 学ばせた。 この他、 文化学院の 自由教育に 子女を託した 父母としては、

竹久夢二(画家)

谷崎潤一郎(作家)

森田たま(随筆家)

石井漠(舞踏家)

小島政二郎(作家)

舟橋聖一(作家)

棟方志功(板画家)

寺田寅彦(随筆家)

サトウハチロー(詩人)

など 他にも多数の文化人があげられる。 現在までも多くの文化人、芸能人の子女が通っている。


画像 ⇒ 千代田遺産

(以降、継続掲載予定)